アユタヤ遺跡
バンコク市内は大体まわったのでアユタヤ遺跡でも見に行くかとタクシーでバンコクの中央駅に行ったら、いきなり、日本語で話しかけられて、どこ行くの?アユタヤ。タクシー乗らない?ということだった。アユタヤへは電車でも行けるのだが昼の時間帯は400バーツと割高らしい。その時、他の日本人観光客もタクシーの交渉をしていて、いっしょに行った方が安くなるから行きませんか?ということでいっしょに行くことになった。男性2人組みで、会社の先輩後輩らしい。1人は僕と同じ28歳、もう1人は24歳だかだった。やってる仕事も僕と同じコンピュータ関係で、僕はソフト開発だがこの人たちはハードウェアの商社に勤めているらしい。
タイ人はみんな明るくていい人、日本人には壁がある
とてもおもしろい人たちで、タイ人や他の外国人観光客にも臆することなく話していた。外国人観光客にカメラで写真を撮ってあげてカメラを返す時に「What nice Camera !!(なんて素晴らしいカメラなんだ!!)」とか言ったりして外人にもウケていた。英語ギャグいいねー。おれも使いてー。そんなおもろい人が、こんなことを言っていた。
「日本人が一番話しかけにくい」
タイ人やその他の外国人は陽気な人が多いけど、日本人は壁があって警戒してる感じがする、話しかけたら普通に話せるんだろうけど、話しかけにくい、という話だった。
これはとても納得がいった。日本人は人間関係に神経質で排他的な気がする。自分を基本にしてそれと違うものには排他的な態度をとる。そして、自分を基準にして「ふつう」とする。「ふつう」じゃない者を排他する。
言葉の違いが陽気さの違い?!
英語で会話をしていて感じたのは、英語はコミュニケーションの道具なのだなということ。
たとえば、ホテルで部屋のキーを受け取りたい場合、英語ではgive me room key.と言えばいいが、日本語だと「部屋のキーをください」とか「部屋のキーが欲しいんだけど」とか「部屋のキーを頂けますか?」等、いろいろな言い方がある。言い方によって、その人の人間性が表れる。だから、どういう言い方をしようと考える。
でも、英語なら「give me room key.」だ。丁寧に言うならPleaseを付けるだけだ。部屋のキーをくれという意志が伝わればいい。日本語はそれ以外の微妙なニュアンスが多すぎる気がする。
洋画の台詞(英語)と字幕(日本語)を比べてみるとよく分かる。ワイルドなキャラクターの主人公が字幕(日本語)では「奴の居場所を教えやがれ」と書いてあっても、台詞(英語)では「tell me where he is」だ。言葉自体にワイルドさはないでしょ?伝えたいことをそのまま並べただけだ。「教えやがれ」みたいな言い方はない。ただ「tell me」だ。
それに日本語は言い方によって、親密さの距離感が変わる。「今日はいい天気ですね」って言うのと「今日はいい天気だね」では、後者の方が親密さの距離感が近い。英語では「Today is sunny day.」って言うだけだ。実際のその人との関係性と言葉の距離感が合わないと違和感を感じるし、違和感を感じないために、適切な距離感の言葉使いをしなければならない。だから、どんどん話にくくなって壁が出来ていくのだと思う。
英語はそういう余計なことを考えないで済むから話しやすいんじゃないかと思う。だから陽気に話せる。細かいこと考えなくていい。伝えたいことをそのまま言葉にするだけ。日本語でもそれが出来るのかな?
カメラのバッテリーが切れた!?
僕はデジカメを持っていないので、ケータイのカメラで撮影をしていただけど、4泊5日だから持つだろうと思っていた。充電は日本とタイは電圧が違うので変圧器が必要で、それも持ってきていない。イタタタター。そんなわけでアユタヤ遺跡の途中で写真は終了、とほほなね〜。
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